Assalamualaikum.
今回綴る内容は、実は同じことをインスタグラムで長々と正直に綴ったら、思いのほか同じような改宗した日本人ムスリマさん仲間からたくさんDMをいただき…。コメント欄に正直な感想や悩みを書いてくれた人もいらしたけど、やっぱり気持ち的にこっそり悩みや自分の弱いところを打ち明けたい、って感じなのかな、DMで「私も同じです」「共感します」と連絡をくれた方が多かったです。それくらい、私が置かれている状況と同じような気持ちでイスラムに改宗してからの日々を過ごしている人が多いのかも、と改めて思ったのでブログにも書いてみようと思います。要は自分の「できないことの言い訳」みたいなことを綴っている感じもして、読む人からしたらすごくかっこ悪い文章だと思うのですが、かっこつけてもできないものはできないし、嘘をついてもすぐにバレますから、もう本音を書いてしまおうと思っています。私はこんなに弱くて自分に甘い人間なんです、と最初に宣言してしまいます…。
イスラムに改宗をして2年7カ月。すいぶんな時間が経ち、今年はムスリムであるハムザとも結婚して、本当ならイスラムのもことはどんどん前進していかなくてはいけないと分かってはいるのだけど…、イスラムのことはできないことだらけ。
SNSでつながっている改宗日本人ムスリマさん友とお話をすることは多いのですが、改宗の理由はそれぞれ。ムスリムの彼氏さんとの結婚を考え始めてとか、イスラムに興味があってとか、なんとなく笑とか、ある日雷に打たれるように衝撃が走ってとか…(私はわりとこれに近いな)。理由はそれぞれでも、改宗してからその人なりに日々イスラムと接して考えて、という日々を過ごしているよう。(結婚のためのみでその後全く自分がムスリマであることを忘れてるくらい、な感じの人もたまに出会うけど笑) 皆さんとお話してみてわりと聞こえてくるのが、改宗はしたけれど日本で暮らしていて周りにイスラムを信仰する人がほとんどいなかったり、どう勉強していいか分からなかったり、という声。クルアーンを日本語で学ぶということがとても難しい、という声もあるかな。私も英語もアラビア語もできないから、クルアーンは日本語のみでしか理解が進まず、そこは気持ちがとても分かる…。皆さん共通して、勉強しなくちゃ、やらなくちゃと思いながら、気持ちだけが空回りして、どうやって勉強したらいいのかも分からず時間だけが過ぎていって 色々できないまま空白の数年がある、と言う声が多かったです。
なんてことを書くと、「いや、実際できてる人もいるわけだから、ちゃんと勉強しなよ」とか「勉強会とか行ったら」「モスク行けば教えてもらえるよ」さらには「改宗して何年経ってんの」とか、そういう言葉を発する人がいると思うのですが、それはもちろんそうなんだけど、それを分かっているうえで、今こうして気持ちを綴っています。そんな言葉は正論過ぎて何の解決にもならないのでご遠慮いただきたいな…という感じ。改宗した人の全員が強い心や意志の持ち主じゃないし、こうやって迷ったり方向を模索したりというのはとても人間ぽい行動じゃないかなと思うから。しっかり完璧を目指して日々精進できる人ばかりではないです、人間。簡単にできるなら、イスラムに限らず、皆色んなことであっという間に成功をおさめているはずですし。
空白の数年については私も例外ではなくて、何となく見よう見まねでできることはやってみたり、たまに誰かに教えてもらったり、という感じでこの2年7カ月が過ぎてしまっています。礼拝もそのひとつで、ざっくりと「こんなふうにする」というのはできるけど、細かいところはできなかったり、隣の人についてやっているということばかり。本当は、モスクなどに頻繁に出向いてムスリマさんのお友達をたくさん作ったり、一緒に礼拝をしたりして教えてもらえる環境を自分で作っていかなくてはいけないのでしょうけど…(ハムザからもやんわりと「モスクで皆で一緒に礼拝するといいよ」と昔言われたけど) とにかくモスクまで出掛けるのがなかなかできない。東京やマレーシアでたまにモスクに行くと、親切に教えてくれたりする人もいるから、全く進んでないわけではないのだけど…、まあ全然できていません…。
そんな悩みを心に持ちながら、どうしたものかなと思いあぐねていた中、最近見つけたのがこの「ぼくの・わたしのサラー(れいはい)」(ダールッサラーム出版)※リンクからPDF版が開けます。とても便利!
この資料、きっと礼拝を一から学ぼうと思ってネットで検索して見つけている人も多いのではないかと思いますが、「礼拝って、実は細かい動作どうなってんの?」っていう疑問に対し、かゆいところに手が届く感じですごくいいなぁと思う礼拝読本です。
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昨日じっくりこれを見返してみたら、小さな動作とか色々間違って覚えてるなあと気が付きました。改宗して一から礼拝を覚えている皆さんは、最初からこういう動作、ちゃんとできてるんだろうか。子供の頃から親や周囲が礼拝する姿を目にし、日々教えてもらうことができるボーンムスリムと違って、改宗した人達はきっとこういう細かい動作、横で丁寧に指導してくれる人がいないと、なかなか日常で目にすることも少ないし、難しいと思うのですが…。皆さんどうやって覚えたの?とつくづく思います。
こないだハムザに、今書いたようなことをざっくりまとめてちらっと(まだちらっとですが笑)悩みとして話してみたら、「信仰というのは波があるものだから。やったりやらなかったり、改宗者に限らずそういうことはあるよ。」とさらりと答えていて。私がハムザを好きな理由はこういうとこもあるなあと思った答えだったけど(こういうとこもあるって書いたけど、でもハムザのことはまるっと全部大好きですが笑)。ここで「イスラムはこうだからこうしなきゃいけない」みたいながんじがらめな答えを返されても、きっと私には難しかったり大変過ぎて全部を実践できないと思うし、ハムザや家族と一緒にいることやイスラムのことを考えることがしんどくなると思うから。
結婚してからハムザが、イスラムのことを「一緒にやりましょう」と私に声をかけてくれて、私も少しずつだけど、分からないことをハムザに教えてもらいたいとぼんやりだけど思うようになっていて。…というか、私はほぼ99%分からないことだらけなので、全部ハムザに聞くしかないのですが…、ハムザ大変だなあ…。ハムザは人生におけるイスラムの位置づけをとても大切に思っている男性なので、こんな妻でいいんだろうかと思ってしまうけど。
共通の友人であるマレー人男性(ボーンムスリムです)と先日話した時に、「ハムザはイスラムについてきちんと学んでいるから、イマーム(イスラムの指導的役割)とかできるんじゃない?ナオコは色々教えてもらったらいい。最高の先生だよ。」と言われまして。ハムザは私の中では、真面目にイスラムを実践しているけれど、それでいて日本暮らしが長いから考え方も柔軟な人、という見方で。そんなハムザと友人になってマレーシアで一緒に過ごすようになった私はたくさんの影響を受け、イスラムが心の中を占めていくようになったといってもいいくらい。だから、友人がそんなふうにハムザのことを話していて、へ~ハムザってそんなすごい人だったんだ~?と改めて自分の夫を見直しました。
そして、「イスラムのことも、マレーシアでのこれからの暮らしもハムザがいてくれたらなんとかなるさ」みたいな楽観的な気持ちでハムザのプロポーズを受け入れたのだけど。もちろん、ハムザについていけば何ごともうまくいくことは分かっているんですが、それはそれとして、ハムザと夫婦として一緒に道を進んでいくためにも、もっときちんとイスラムのこと勉強しないと、、、と改めて思っています…。
今回綴る内容は、実は同じことをインスタグラムで長々と正直に綴ったら、思いのほか同じような改宗した日本人ムスリマさん仲間からたくさんDMをいただき…。コメント欄に正直な感想や悩みを書いてくれた人もいらしたけど、やっぱり気持ち的にこっそり悩みや自分の弱いところを打ち明けたい、って感じなのかな、DMで「私も同じです」「共感します」と連絡をくれた方が多かったです。それくらい、私が置かれている状況と同じような気持ちでイスラムに改宗してからの日々を過ごしている人が多いのかも、と改めて思ったのでブログにも書いてみようと思います。要は自分の「できないことの言い訳」みたいなことを綴っている感じもして、読む人からしたらすごくかっこ悪い文章だと思うのですが、かっこつけてもできないものはできないし、嘘をついてもすぐにバレますから、もう本音を書いてしまおうと思っています。私はこんなに弱くて自分に甘い人間なんです、と最初に宣言してしまいます…。
イスラムに改宗をして2年7カ月。すいぶんな時間が経ち、今年はムスリムであるハムザとも結婚して、本当ならイスラムのもことはどんどん前進していかなくてはいけないと分かってはいるのだけど…、イスラムのことはできないことだらけ。
SNSでつながっている改宗日本人ムスリマさん友とお話をすることは多いのですが、改宗の理由はそれぞれ。ムスリムの彼氏さんとの結婚を考え始めてとか、イスラムに興味があってとか、なんとなく笑とか、ある日雷に打たれるように衝撃が走ってとか…(私はわりとこれに近いな)。理由はそれぞれでも、改宗してからその人なりに日々イスラムと接して考えて、という日々を過ごしているよう。(結婚のためのみでその後全く自分がムスリマであることを忘れてるくらい、な感じの人もたまに出会うけど笑) 皆さんとお話してみてわりと聞こえてくるのが、改宗はしたけれど日本で暮らしていて周りにイスラムを信仰する人がほとんどいなかったり、どう勉強していいか分からなかったり、という声。クルアーンを日本語で学ぶということがとても難しい、という声もあるかな。私も英語もアラビア語もできないから、クルアーンは日本語のみでしか理解が進まず、そこは気持ちがとても分かる…。皆さん共通して、勉強しなくちゃ、やらなくちゃと思いながら、気持ちだけが空回りして、どうやって勉強したらいいのかも分からず時間だけが過ぎていって 色々できないまま空白の数年がある、と言う声が多かったです。
なんてことを書くと、「いや、実際できてる人もいるわけだから、ちゃんと勉強しなよ」とか「勉強会とか行ったら」「モスク行けば教えてもらえるよ」さらには「改宗して何年経ってんの」とか、そういう言葉を発する人がいると思うのですが、それはもちろんそうなんだけど、それを分かっているうえで、今こうして気持ちを綴っています。そんな言葉は正論過ぎて何の解決にもならないのでご遠慮いただきたいな…という感じ。改宗した人の全員が強い心や意志の持ち主じゃないし、こうやって迷ったり方向を模索したりというのはとても人間ぽい行動じゃないかなと思うから。しっかり完璧を目指して日々精進できる人ばかりではないです、人間。簡単にできるなら、イスラムに限らず、皆色んなことであっという間に成功をおさめているはずですし。
空白の数年については私も例外ではなくて、何となく見よう見まねでできることはやってみたり、たまに誰かに教えてもらったり、という感じでこの2年7カ月が過ぎてしまっています。礼拝もそのひとつで、ざっくりと「こんなふうにする」というのはできるけど、細かいところはできなかったり、隣の人についてやっているということばかり。本当は、モスクなどに頻繁に出向いてムスリマさんのお友達をたくさん作ったり、一緒に礼拝をしたりして教えてもらえる環境を自分で作っていかなくてはいけないのでしょうけど…(ハムザからもやんわりと「モスクで皆で一緒に礼拝するといいよ」と昔言われたけど) とにかくモスクまで出掛けるのがなかなかできない。東京やマレーシアでたまにモスクに行くと、親切に教えてくれたりする人もいるから、全く進んでないわけではないのだけど…、まあ全然できていません…。
そんな悩みを心に持ちながら、どうしたものかなと思いあぐねていた中、最近見つけたのがこの「ぼくの・わたしのサラー(れいはい)」(ダールッサラーム出版)※リンクからPDF版が開けます。とても便利!
この資料、きっと礼拝を一から学ぼうと思ってネットで検索して見つけている人も多いのではないかと思いますが、「礼拝って、実は細かい動作どうなってんの?」っていう疑問に対し、かゆいところに手が届く感じですごくいいなぁと思う礼拝読本です。


昨日じっくりこれを見返してみたら、小さな動作とか色々間違って覚えてるなあと気が付きました。改宗して一から礼拝を覚えている皆さんは、最初からこういう動作、ちゃんとできてるんだろうか。子供の頃から親や周囲が礼拝する姿を目にし、日々教えてもらうことができるボーンムスリムと違って、改宗した人達はきっとこういう細かい動作、横で丁寧に指導してくれる人がいないと、なかなか日常で目にすることも少ないし、難しいと思うのですが…。皆さんどうやって覚えたの?とつくづく思います。
こないだハムザに、今書いたようなことをざっくりまとめてちらっと(まだちらっとですが笑)悩みとして話してみたら、「信仰というのは波があるものだから。やったりやらなかったり、改宗者に限らずそういうことはあるよ。」とさらりと答えていて。私がハムザを好きな理由はこういうとこもあるなあと思った答えだったけど(こういうとこもあるって書いたけど、でもハムザのことはまるっと全部大好きですが笑)。ここで「イスラムはこうだからこうしなきゃいけない」みたいながんじがらめな答えを返されても、きっと私には難しかったり大変過ぎて全部を実践できないと思うし、ハムザや家族と一緒にいることやイスラムのことを考えることがしんどくなると思うから。
結婚してからハムザが、イスラムのことを「一緒にやりましょう」と私に声をかけてくれて、私も少しずつだけど、分からないことをハムザに教えてもらいたいとぼんやりだけど思うようになっていて。…というか、私はほぼ99%分からないことだらけなので、全部ハムザに聞くしかないのですが…、ハムザ大変だなあ…。ハムザは人生におけるイスラムの位置づけをとても大切に思っている男性なので、こんな妻でいいんだろうかと思ってしまうけど。
共通の友人であるマレー人男性(ボーンムスリムです)と先日話した時に、「ハムザはイスラムについてきちんと学んでいるから、イマーム(イスラムの指導的役割)とかできるんじゃない?ナオコは色々教えてもらったらいい。最高の先生だよ。」と言われまして。ハムザは私の中では、真面目にイスラムを実践しているけれど、それでいて日本暮らしが長いから考え方も柔軟な人、という見方で。そんなハムザと友人になってマレーシアで一緒に過ごすようになった私はたくさんの影響を受け、イスラムが心の中を占めていくようになったといってもいいくらい。だから、友人がそんなふうにハムザのことを話していて、へ~ハムザってそんなすごい人だったんだ~?と改めて自分の夫を見直しました。
そして、「イスラムのことも、マレーシアでのこれからの暮らしもハムザがいてくれたらなんとかなるさ」みたいな楽観的な気持ちでハムザのプロポーズを受け入れたのだけど。もちろん、ハムザについていけば何ごともうまくいくことは分かっているんですが、それはそれとして、ハムザと夫婦として一緒に道を進んでいくためにも、もっときちんとイスラムのこと勉強しないと、、、と改めて思っています…。